2009年01月11日

民法:ぽこ、物権行為の独自性を否定する立場に立つ

民法第176条
物権ノ設定及ヒ移転ハ当事者ノ意思表示ノミニ因リテ其効力ヲ生ス

 この条文をめぐっていろいろな問題が指摘され、それぞれ学説が対立しているらしい。
 今日、そのうちのひとつである物権行為の独自性を認めるか否かという問題(物権変動の効力発生時点の解釈問題から派生)について考えた。頭がうにうにした。でも幸いなことに一時間くらいで現時点での結論が出た。

ぽこ結論
ぽこは物権行為の独自性を否定する立場に立つ。なぜなら、民法176条の存在意義を類推したときに、意思表示すなわち物権行為以前(物権行為なる概念は肯定派の理論が求めたものだが)の債権契約のみで効力を生じると考えた方が妥当性が高く、文理解釈上も素直な印象を持つ、肯定派は日本における慣行と法規の齟齬を恐れすぎているのではないか、本末転倒に見えないか、とするぽこ。

 つまり、肯定派がいうように条文中の「意思表示」が実は物権的意思表示(物権行為)を意味するのであるとすると、「意思表示により」ではなく、「意思表示のみにより」という書き方をした意義がこぼれおちてしまうのではないか、そもそも、肯定派の「意思表示」解釈が正しいのなら、立法者は初めから「物権行為により」とか「登記または引渡しにより」と書いたはずじゃないのか、という疑問が生じる。代金支払いや登記、引渡しをして初めて物権が移転するのなら、それらの物権行為は要件として明記されたはずではないか。民法全体を概観するとそう思わざるを得ない。

 例を動産売買にとると、その動産について売ります、買いますと当事者同士が意思を確認し、代金の支払いを済ませ、物を引き渡した時に物権は移転します、というのならこれは小学生でも理解できる話になるだろう。176条の存在意義は、実はそうじゃないんですよ、売ります、買いますという意思表示だけで物権変動の効力を生じるんです、おどろいたでしょ、ということではないのだろうか。

 近江幸治『民法講義2 物権法』(成文堂)55頁には、

(物権行為の独自性を肯定する立場は)「民法が物権・債権を峻別する以上、理論的には正当であろうし、また、次に述べる所有権の移転時期との関係では、意思表示時と移転時期を分離させる必要もなく、「意思表示ノミニ因リテ其効力ヲ生ス」の文意に最も近い解釈になるものと思われる」

とあるが、はたしてそうだろうか。民法が物権と債権を峻別することはどちらか一方の説にのみ与するものではないのではなかろうか。立法者はなにを言いたくてこのような書き方をしたのだろうと考えると疑問を持つ。条文の解釈を変えていくことは否定しないが肯定派は目的論が強すぎる気がする。債権契約だけで物権が移転するとなると看過できない実害が生じるのだろうか。そうだとしてもそれはこの条文の解釈の問題というより、物権変動に関する諸制度の整備で対処すべきではないかと思える。

 今のところこんなふうに思うぽこ。
(2009.1.11日)

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posted by 堀内悟 at 15:42| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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