1968年4月に暗殺されたマーティン・ルーサー・キング牧師は人種間対立をなくそうとした。同年6月に暗殺されたロバート・ケネディーも兄JFKとともに公民権運動に積極的だった。
1980年に殺されたジョン・レノンは平和実現のための意識改革を人々に求めた(「イマジン」)。
日本では薩長同盟を実現した坂本龍馬が明治維新の前に殺された。
抗争中に敵対する一方が殺されるのではなく、抗争そのものを解消し、両陣営をさらに高い次元へ引き上げようとした人間が殺されているのだ。
これは対立・抗争・戦争を前提にして利益を得ている勢力の存在をうかがわせるものだ。常に世界が争いにまみれているように画策している勢力。
集団ストーカーの背景につながる問題ではないだろうか。
集団ストーカーの被害者像の全体はまだ見通せていないが、どの勢力にも加わらない個人主義者は標的にされやすいという指摘がある。セクトの意向にそって行動するのではなく、自分なりの考えを持ち、発言し、行動する人間。そういう人間は全体主義社会を作る上で、また、それ以前の分裂と不和を前提とする社会においても邪魔者であるはずだ。なぜなら、誰かに言わされるのではなく、自分で考えて話せる人は知的能力が高い場合が多いからだ。その考えや表現が拙くても経験を踏まえて語れば説得力を得やすい。つまり影響力がある。
影響力を持つ人が「争いは醜い、やめなさい」と言えば、大小さまざまな戦争を飯のタネにしている人々を怒らせることになる。だから狙われ、つぶされる。
集団ストーカーの加害者の動機はこれだけではないだろう。
影響力を持っている、あるいは持ちうる人間を支配体制に組み入れ利用したい。それに従わない人間はつぶす。
支配体制組織の構成メンバーには定員がある。その地位を脅かす者をつぶしたい。
集団ストーカーの加害者の実体は被害者ごとに異なっている可能性があることはすでにこのブログで指摘した。相乗りしている複数の勢力に狙われている人もいるだろう。わたしはこのパターンだと思われる。
ストーカー被害者の多くはなぜ自分が狙われるのかわからないと訴えている。しかし、第三者がその人の歴史を分析すれば、あるパターンに分類することができるのではないだろうか。「対立の無化」は典型的なパターンのひとつだと考えられる。
2011.1.28金曜
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